2016年11月26日土曜日

浪江焼麺太国と調印



2016年10月29日

ご当地グルメを活用したまちおこしで同じ志を持つ浪江焼麺太国と北上コロッケまるっとLabでは、このたび北上コロッケ販売の認定店として調印式を執り行いました。

2011年3月11日の東日本大震災以来、浪江町は原子力災害によって全村避難しています。ある程度の除染などが進み帰還の一歩として浪江町役場の近くに仮設商店街がオープン。
なみえ焼きそばとともに北上コロッケも提供していただけることになりました。

これは、震災直後から北上市で開催したイベントへ出展してもらったりシンポジウムを開くなど北上市民にできる最大限のサポートをした縁で、そのつながりの証でもあります。

これからも北上コロッケまるっとLabは浪江焼麺太国の皆様をはじめ浪江町の皆様を見守り続けてまいります。

2016年11月23日水曜日

二子一里塚を後にして成田一里塚目指すさ

一行は二子一里塚を後にして歩き始めます

旧奥州街道は自分の予想としていたルートと違うところに分け入っていきます!

この道、全く予想外でしたが、村崎野の南田という地区を抜けるこの道が旧奥州街道
この先は黒沢尻工業高校のグラウンドに突き当たります。
そうなんです、学校建設時に旧奥州街道は一部消滅しています。

そして、この辺りは北上北工業団地。旧奥州街道はこの道を右奥から左手前へ斜めに伸びていたとのこと

こちら、北上運輸さん。この中の敷地を旧奥州街道は走っています

さて、この正面中央に盛り上がる木
これが本日の最終目的地「成田一里塚」です

北上運輸さんの敷地の裏手へいきますと、このような電線が一本
実はこれ、旧奥州街道に張られていた、電話線であります。
現在は使われていませんが奥州街道の名残道として残されています。



2016年11月22日火曜日

二子一里塚へ到着


長らく更新が滞ていましたが、本町を後にして、ひたすら歩き「二子一里塚」へ到着であります。

1604年(慶長9年)、江戸幕府によって定められた全国5つの街道には、日本橋を起点にしてそれぞれ一里塚(一里=約3.92km)が築かれました。現在、奥州街道で残っている一里塚は、わずか20余箇所ほどです。そのうちの一つ、二子一里塚は、日本橋から128里(502.8km)、盛岡までは11里(43.2km)の地点にあたります。



2016年6月28日火曜日

出展報告 北上スポーツレクリエーション


6/26 総合運動公園で行われた北上スポーツレクリエーション大会において、岩手4団体で出展させていただきました。多くのご来場の皆様ありがとうございました。

久慈まめぶ部屋さん、いわてまち焼きうどん連合歓隊さん、いちのせきハラミ焼なじょったべ隊さん出展ありがとうございました!

本町をあとにして二子一里塚を目指す

本町を過ぎて二子にある一里塚を目指します!

北上線の踏切を越えたところに「奥州街道跡」の案内看板があります。
これを読めばこの界隈の事がズバリ書かれています。

我々も初めて知った事も多いです(笑)

案内看板

右方向、二子町に至る跨線橋 奥州街道は左へ進みます

常盤台の跨線橋上から左手道路が線路で途絶えていますが、もともと遮断機のない踏切がありました
ここが旧奥州街道となります。

常盤台跨線橋から北上市内方向を振り返ってみる
霧雨に曇って何も見えません(笑)

上野町 場所によっては古い建物が多いです。新しい住宅地も混在しております

新関川 奥寺堰と関連があり物語的に奥が深そうなのでまるっと探検隊では後日調査します!!

2016年5月9日月曜日

九年橋から本町へ

つい最近開通したばかりの九年橋歩道橋、その横には老朽化した九年橋を補強工事して2015年7月開通しています。
この歩道橋は新しい橋なのでこの場所には二つの橋が架かったことになります。
九年橋の名前の由来は、明治9年の明治天皇巡幸の際に木橋が架けられたことから。

北上郵便局がある交差点、大通りを超えると本通りへ入っていきます、新町・本町のある場所です。

このあたりから「蔵」が目立ってきます。
こちらは蔵を改装して自転車店として営業

新町にある「明治天皇御駐輦趾」の碑
手前には「新町のおこり」を記した案内板がありますのでご一読を!

蔵を改装して器などを販売している「ぐんきん」さん

通りからちらっとのぞく風格のある蔵


本町 現在十字路商店街を形成している場所です。
ここに「本陣」がおかれています。

さくらの百貨店の入り口脇に「本町のおこり」という案内板がありますので是非ご一読を